自閉症の息子が劇的に変わった!人生180度変えた“最高の関わり方”とは?私のどん底ストーリー

Uncategorized

今から3年前は本気でそう思ってました。

初めまして。
まろと申します。

5歳の息子を一人、育てていて
仕事は看護師。

息子と、夫と家族3人
どうにかこうにか生きている

ワーキングマザーです。

息子はいわゆる育てにくい子です。

寝ない、食べない、落ち着かない

の3拍子みたいな息子で

育児辛すぎて
毎日泣いて「消えたい」
って言いながら過ごしていました。

息子の発達が不安でたまらないのに

息子と一秒でもいいから離れたい。

正直、息子とは
向き合えない時期がありました。

そんな

たまたま看護師だけど

なんの専門家でもない

超ネガティブママが
変わったお話に今日はお付き合いくださいね。


それでは、スタート!

看護師デビュー、そして結婚

一浪して県外の大学へ進学。

大学生活をとことん楽しんで

地元へ戻って就職。

新人看護師として総合病院に勤め

そこそこ揉まれて
まあまあ泣いて
ちょっとだけ成長。

4年目の秋
中学の同級生だった夫と結婚しました。

看護師の仕事は大変だけど
割となんでも思い通り

楽しい毎日でした。

息子誕生

結婚から1年で息子が誕生しました。

初めての子どもで
右も左もわかりませんでしたが

なかなか寝ないのも普通だと思っていたので、

息子に全力投球しながら子育てを楽しんでいました。

今思えばこの頃の写真が一番多いですね。
毛糸で息子の帽子やセーターをせっせと編んでいました。

息子1歳半~2歳

どうも寝ないな…から、全然寝ないな?

多分、この頃から私の闇が深くなっていきました。

とにかく寝ない。

吐くまで泣く。

偏食でお菓子とごはん以外食べない。

それでも息子可愛いフィルター効果で

「早生まれだし、赤ちゃんだもん、仕方ないよね。」

と呑気に構えていました。

息子ファーストの育児をしつつ
託児所のある病院への職場復帰。

毎日楽しく登園、仕事と思っていましたが
だんだん託児所からトラブルの報告が増えてきました。

だんだん息子に育てにくさを感じ始めます。

「でもまあ、イヤイヤ期だし。
この子早生まれだもん。
まだ赤ちゃんだわ。こんなものよ。」

と自分をごまかしつつ、

時々、育児書との違いに首をかしげ

あれれ~おかしいぞ~?

名探偵みたいなことを呑気に言いながら
何とか育児をこなしていた頃です。

まだまだ呑気でした。

毎日、睡眠不足と戦っていました。

しかし、2歳半で入園した保育園生活で
トラブルが爆発しました。

「お昼寝をしない」
「ブロックを投げた」
「お友達に噛み付いた」
「泣いて教室から飛び出した」
「ブロックを投げた(本日2回目)」

だいたいお迎えの時は
こんな感じの報告がありました。

とにかく毎回平謝り
お友達のママにも謝る…

「私はいつも誰かに謝っている…。」

暴れる息子を抱え、
頭を下げ
自分の靴のつま先を見ながら
そう思いました。

帰りの車で家で息子に怒る…

「なんで出来ないの!?」
「お友達叩かない!!」
「バツだよ!!」

会話のほとんどがそんな感じ。

園の先生も発達障がいを心配して
地区の発達相談へも行きました。

「今は様子を見ましょう」
「元気すぎるだけだね」
「発達障がいじゃないと思うよ」

それしか言われませんでした。

「何で周りの子と同じようにできないんだろう」

息子のできないことばかりが気になっていました。

周りと同じことができない息子が悪い。

息子のせいで私はこんなに苦しい。

正直、息子とは
向き合えない時期がありました。

その頃、夫は激務で毎日ワンオペ。

毎日朝が来るのが怖くて
夜は寝ずに泣いてる息子を抱えて途方に暮れていました。

育児楽しいなんて、思った記憶はないです。

ただ漠然と、

「消えたいな。」

なんてことばかり考えていました。

息子3歳


「なんでこんなにキレて泣いてるの?」

と毎日検索。

今考えると怖いんですが

電柱とか、階段の手すりとか
どこにベルトぶら下げれば確実かな。
ここから飛び降りてもせいぜい骨折程度だな。

看護師という職業柄、結構リアルな計画まで立てていました。

私のあまりのメンタルの不調に
夫も何とか協力しようとしてくれてはいました。

ですが夫も激務。
なかなか即戦力にはなれませんでした。

何度も衝突し

お互いに疲弊し

離婚も考えていた頃

夫の転勤で地元に引っ越しが決まり
保育園も転園することになりました。

新しい保育園、新しい環境。
フリーの先生も多い。
息子の心配事も聞いてくれた。

ここならきっと息子も大丈夫!

私も安心して働ける!
そう思って入った手厚い保育園での初の参観日。

「息子、断トツに浮いてるじゃん。」

年少って椅子に座れるの?

走り回ったりしないの?

息子1人でブロックしてる。

「ぼくの!!!」
とお友達とおもちゃの取り合い。
「まだあそぶ!!!」
と給食の時間まで遊び続けて切り替えられない。

からの癇癪、床にダイブ、教室飛び出す、おもちゃを投げる…

流石にこれは絶対おかしいと思って
自力で調べて保健センターへ行っても、
保健師さんから出てきた言葉は
どこかで聞いた事あるワード。

「まだ小さいので様子見てもいいと思います」
「お母さん、息子君はただ元気なだけなんです」
「そんなに気にすることないですよ」

誰にも理解してもらえない、
あの孤独感たるや。

私の腕をすり抜けて走り出そうとする息子を
抑えながら途方にくれました。

「誰か、助けて。」

「まだ様子見なの?」
「いつまで様子見るの?」
「様子って何を見るの?」

消えたい気持ちが続いていました

息子4歳

私の精神状態も限界に近づいていて
ついに保育園の送迎もできなくなりました。

そんな時、しぶしぶ行った面談で
担任の先生からありがたいお言葉を頂戴しました。

「お母さんがご心配なら市の職員さんに園訪問してもらいましょうか?」

「はいぜひ、お願いします。」
即答でした。

ここからの展開が早かった。

園訪問の後
すぐに医療受診を勧められました。

たまたま開業直後の児童精神科クリニックがあり
奇跡的に予約が取れました。

すぐに受診し、ASDの診断がおりました。

「お母さん、これは大変だったでしょう」

初受診の記憶は、先生に言われたこの言葉だけです。

受診の帰り道、車の中でどんどん涙があふれてきました。

「やっとわかってもらえた」

「息子は発達障がいって確定したんだな」

色んな思いがあふれてきて、
でも、後ろに座ってる息子には
バレたくなくて、声を殺して泣きました。

泣きながら運転している
危ないおばさんになっていました。

流石に危ないので
「お昼でも買おうか」
ってイオンの立体駐車場のすみに車を停めて
もうひと泣きました。

これでも看護師の端くれです。

学生時代はASDの行動援護や
ボランティアをしてきました。

ASDの生きにくさについては
リアルに感じていました。

だから息子のこれから先の人生を思って
涙が止まりませんでした。

そろそろ泣き止め、
と自分に喝を入れていた時

「ママ、だいじょうぶ?」

泣いてるのはとっくに息子にバレてました。

涙をぬぐって後ろを振り返ると
心配そうな息子と目が合いました。

その顔を見て、
「この子にこんな顔させちゃいけない」
と思いました。

この子はこんなに優しい
この子には人をちゃんと心配する力がある
この子をつぶすような育児はしちゃだめだ

依然、涙は少しも止まらず
イオンの駐車場で
息子を抱きしめてオイオイ泣きました。

そこから私はASDのことを沢山勉強しました。

おうち療育という言葉も知り、実践。

内容を夫に共有したり
息子とやったり積極的に動きました。

しかし息子は変わらず保育園で癇癪の日々。

避難用のダンボールハウスも作ったし
園の先生も協力してくれる。

なのにトラブルばっかり。

全然楽にならず
毎日ため息ばっかりでした。

頭を下げて、息子を責めて、
そして消えてしまいたい生活は
変わりませんでした。

今思えば、診断が降りたら楽になると考えてたんですよね。

変わったきっかけ

もう、何してあげたらいいか分からない…

そう思いながら、
今度は自閉症育児の体験談を沢山読みました。

共感できる。
でも、なんか違うんです。
なんか、息子には通用しない。

同じ自閉症なのに…

悩んでる事を夫に相談すると
夫から真顔で言われました。

「息子を自閉症として見てるからじゃない?」

え…?
固まりました。

だってそうじゃん?
診断おりてるじゃん…?

夫は営業職です。
医療知識もないし、
息子の診断がおりたあとも
ASDについて本を読んでいる姿も
見たことがありませんでした。

正直、私はそんな夫のことを
息子を蔑ろにしてる
と敵視していました。

固まってる私に夫はさらに言いました。

「まろはさ、
息子本人を興味持ってちゃんと見てる?
障害とかじゃなくて
息子自身を見てるの?」

息が出来ませんでした。

図星だったから。

私、息子のこと、最近ちゃんと見てる?

ちょうど塗り絵をしていた息子と目が合いました。

息子は私の顔を見て
キラキラの笑顔でこう言ったんです。

「ママの笑ったおかおがいい」

そっか、そっか。
…そうだよね!!!
最近笑ってなかった。

育児書通りに
息子と夫を動かそうとして
いらいらしてた。

正しい
とされる声掛けだけして

息子に合ってるかを見てなかった。

ふと思い出した、

「子どもはママの鏡です。」

必死で読んだ本のどっかに書いてあった。

自閉症育児の本通りにしても息子に通用するわけないんだ。

私は自分の思い通りに息子を育てたいの?

違うよね、
これからの人生、
息子が生きやすいように
助けになってあげたいんだよね。


息子専用の育児書を作らないとダメなんだ。

それからは、
とにかく息子のことを勉強しました。

何が好き?

どんなタイミングで癇癪になる?

何をすれば落ち着く?

息子と同じような障害のレベルの声掛け方法…

特に息子の気持ちを聞くことに
全力を注ぎました。

▶スマホの絵文字で気持ちの表現を手伝う

▶目線を合わせる。

▶目が合ったら笑顔。

▶何もしてない時に
ギューって抱きしめる。

▶「いいよ、合ってるよ」
「よくママに相談してくれたね」

▶「息子大好き」
「ママのだいじだいじ。」
「ママの宝物」

ひたすら
息子を見て
肯定し
愛を伝える

を徹底しました。

その上で、
ASD児の癇癪の対応方法や
おうち療育をもう一度
試してみたんです。

▶視覚支援でタイムタイマーの導入

▶目で見て分かるように絵カード導入

▶目線に入ってから声をかける

▶一回の指示でいうことは一つだけ

他にもいろいろありますが
スモールステップで息子の支援を行いました。

そんな毎日を過ごしていると
息子が私に向かって発信してくれる
メッセージがめちゃくちゃ増えました。


「ぎゅうにゅう、こぼれたから、お着替えした。」
「ごはん、おかわりした!」

今まで何回園のことを聞いても

「分からない」

だった息子が
どんどん話してくれるようになったんです。

あなたこんなに話せたの!?

ってくらい色んなことを教えてくれました。

そしてある日
ついに癇癪の理由を教えてくれたんです。

「僕は、恐竜の羽が取られるのが嫌だったの。」

息子がちゃんと
自分の気持ちが言えたことに
私はびっくりしました。

それは嫌だわ。

自分の世界が壊されたら誰だって怒るわ。
ただ、怒る方法が分からなかっただけなんだね。

「なるほどねえ、それは腹立つね。
でもブロックとか固いもの投げたら誰か怪我するよ。」

「次は「嫌だ、やめて」って言ってみよ。
それでもダメならダンボールハウスに
逃げちゃえばいいよ。」

そう言うと息子はニヤって笑っていました。
そのキラキラの笑顔がとても眩しく感じました。

「ああ、この関わり方、
この方法、前から知ってたらなあ。」


息子とちゃんと話せたことが嬉しい反面、
今まで私が息子にしてきた育児が
全くの自分本位な育児だったことに気が付きました

凄い後悔でした。

4年も辛い思いをさせてしまった。

「息子とこれからも笑って過ごしたい。
そのために出来ること、全部やろう。

今、出来ることをする。

それを繰り返すだけでした。

息子の癇癪の回数は

いつでもどこでもスーパーでも

から

朝晩1回、保育園で1回くらいに

だんだん減ってきました。

私自身も変わり、自分の理解を深めました。

自分の機嫌で息子をコントロールしないように
自分をコントロールする練習をしました。

自分の誤った認識や
知識を壊すための勉強もしました。

こうして、私は変わったんです。

息子、5歳

今は息子は年長です。

お迎えでは
「お昼寝をしない(もはや当たり前)」
「泣かずに教室から飛び出した」
だいたいこんな報告です。

先生、いつもありがとう。

帰りの車は「夕飯何がいい〜??」
とか全然別の会話。

もちろん、ブロック投げたり、
危ないことをした時は

「それはダメ。
固いものは投げるもんじゃない。
怪我させるのはダメ。」とは言います。

大変だなあ、と思うこともあります。

でも、意識して息子の話を
よく聞きます。

息子が話すときは手を止めて目線を合わせる。
必ず、「大好き」を伝えて寝る。

幸せだなあって心から思うようになりました。

そんな日々を過ごしていると、

「私みたいなママいるんじゃないかな。」

「前はこの時間帯、
息子は癇癪起こして寝なくてね…
しんどかったなあ。
きっとしんどくて泣いてるママいるよね…
何とかしてあげたいなあ」

という思いが湧いてきました。

それで、発信をすることにしたんです。

「あなたは一人じゃないよ。」
「私もそうだった。凄い分かる。ちょっと話そ!」

「困ってること、私と一緒に解決しよう。」

そんな思いで発信しています。

3年間、
毎日消えたいって思っていた私が
変わったんです。

大丈夫、きっとあなたも変われるよ

本気でそう思っています。

さあ、子どもと一緒に
お腹を抱えて笑い合える未来を
一緒に作りましょう!

まとめ

今回は私が息子を産んでから
今日までのことをまとめました。

子どもの発達に不安のある方は多いと思います。

私もそうです。
本当によくわかります。

私も不安で、
毎日スマホで
「3歳 発達」
「3歳 発達障害」
って無限に検索してました。

冒頭にも書きましたが
私はどこにでもいる
看護師の資格があるだけの
発達障がい児を育てている
普通のママです。

その私が変われました。

あなたも変われます。

ぜひ、お子さんをよーく観察しならがら
実践してみてくださいね。

同じだ!とか、
こんなことあった!
等、皆さんの感想をお待ちしています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました